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‘ドイツ語コラム’ コラム

ドイツの連邦制

ドイツは伝統的に各地方の独立性が強く、フランスに典型的に代表されるような中央集権システムとは対照的な国家統治の形態としての連邦制度を取っています。現在の世界でドイツと同様の連邦制度が採用されていることがよく知られている国はアメリカ(および旧ソ連。ただし旧ソ連の場合には連邦制とは名ばかりで実質的には中央集権制に近いものでした)です。この意味ではドイツの連邦制は決して例外的なものではなく、現在世界の国家統治システムの一つのタイプということができます。

連邦制とは、大まかに言えば、それなりに強力な権限を持つ地方政府(ドイツの場合には州政府)とドイツという統一国家を代表する中央政府(ドイツ語ではBundesregierung)という上下階層関係にある二つのレベルの統治機関からなるシステムです。しかし、各州が強力な権限を持つといっても連合国家とは異なり、あくまでも単一国家としてのまとまりをもったものです。とりわけ、他の諸国との対外的な関係(軍事、外交)に関しては、統一国家を代表する中央政府にははっきりと各州政府の権限とは区別される独自の役割が認められています。しかし、内政面に関しては、理念上は、連邦政府はそれぞれの地方政府から「委託された」権限をもって組織されたものであって、その範囲外のことは地方政府の管轄となります。

現在のドイツ連邦共和国は16の州(Land)から構成されています。具体的には、ミュンヘンを州都とするバイエルン自由州、ベルリン、自由ハンザ都市ハンブルク、デュッセルドルフを州都とするノルトライン・ヴェストファーレン州、などです。これらの州は、日本の都道府県のような単に法人格を持つ地方公共団体ではなく、それぞれが主権を付与されていて、独自の州憲法、州議会、州政府そして州裁判所をもった国家(Staat)でもあるのです。なお、上記の具体例の中のいくつかには州都名が記されていませんが、これは州と州都が同じであり、都市そのものに州としての権限が認められているからです。首都のベルリンに代表されるようなこのような形態は都市州(Stadtstaat)と呼ばれ、その下には日本の政令指定都市のような区(Stadtbezirk)という行政区分が設けられています。しかし、州の中の中心都市が州都となっている多数の州では、州の下に「行政管区」または「県」と日本語で表記されるRegierungsbezirk、さらにその下に「郡」(Landkreis)や「独立市」(Kreisfreie Stadt)、そして最後に最小行政単位としての「市町村」(Gemeinde)が置かれています。
 また、州の人口規模は2000万人近いノルトライン・ヴェストファーレン州から、70万人に満たない自由ハンザ都市ブレーメンまでまちまちですが、当然のことながら上記の都市州は都市としては人口規模は大きくても州としてのそれは小さいということになります。 
連邦制は地方分権という統治システムの在り方であるにとどまりません。フランスや日本のような中央集権的性格の強い国とは対照的に、(人口、経済、文化など多くの点で)一国内の各地域間の格差が比較的小さく、互角の規模をもつそれぞれの地方が独自性を保って存在しており、逆に、パリや東京のようにある特定の地域に一国全体の多くのものが集中するという現象は見られません。

ドイツの国歌

日本の国歌である「君が代」は明治時代の初めに、西欧諸国がそれぞれの国歌をもっていることにならって、日本古来の和歌を参考にして作られた歌詞に日本の雅楽風の旋律に西洋音楽の形式をかぶせてできたものと言われています。最初に制定されて以来、明治・大正・昭和・平成と一世紀以上の間、正式の国歌として様々な機会に演奏されています。 
世界の諸国にはそれぞれ国歌がありますが、私たち日本人の多くが少なくともそのメロディーを(歌詞はそれぞれの国の言葉ですので私たちがそれをいちいち知って理解するというわけにはいきません)知っている他国の国歌はあまり多くありません。そのなかで、歌詞のメロディーがほとんどの日本人におなじみの国歌の一つ(おそらく代表的なひとつ)がドイツの国歌であると言えるでしょう。その主な理由はもちろん、このメロディーが誰でも知っている著名な作曲家のハイドンが18世紀の末に作曲した弦楽四重奏曲『皇帝』の第二楽章の出だしの主題を下にしているからです(ただし、ハイドンはドイツ人ではなくオーストリア人だったと言われています。また、この曲が本当にハイドンによって作曲されたものであったのかどうかについても、音楽学者による近年の研究において疑問が提出されています)。この第二楽章の主題は、ハイドンが「神聖ローマ皇帝フランツ2世」に捧げた「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」を元にした、皇帝をたたえる歌でした。この局自体はもともとはドイツの国歌とは全く関係のないものでした。国歌が生まれたのはファラースレーベンという詩人が、ドイツ統一の行われる前の19世紀の中葉に偶然のきっかけでフランスとイギリスの軍楽隊の演奏するそれぞれの国歌(「ラ・マルセイエーズ」、「女王陛下万歳」)を聞いて、当時のドイツが国民的統一も果たしておらず国歌ももたなかったことに強い衝撃を受け、国歌の歌詞となるべき詩を作ったことによってでした。この詩と上記のハイドンの曲が組み合わされることによってドイツの国歌が生まれたと言われています。 

このような作詞の経緯から、ドイツの国歌の内容はドイツの国民的統一を希求しドイツの国威を顕揚するものとなっていました。この傾向は特に歌詞の第1番に強く表れています。ドイツが「この世のすべてのものの上に」君臨することが謳われ、また、現在はドイツの領土に属さない諸地域をドイツのものとする内容も含まれています。こうした1番の歌詞の内容はナチ時代のドイツ国家にはむしろ歓迎され、この時代には歌詞の1番だけが正式の国歌とされました。しかし、第二次世界大戦後のドイツの敗戦と東西分割の状況の下でこの覇権主義的な内容を持つ国歌は批判の対象となり、一時期はまったく新たな国歌を制定しようとする動きもあったようですが、旧来の国歌にとって代わるものができず、1952年に西ドイツがオリンピックに復帰するにあたり、3番の歌詞が東西に分断されていたドイツの再統一を願う内容と解釈されることにより、ハイドンの曲に3番の歌詞をのせたものが再び正式の国歌とされることになりました。この3番の歌詞には、「統一と正義と自由」をドイツ国民が手を携えて実現しよう、と謳われています。
 この3番の歌詞は1990年のドイツ統一後にも引き継がれ現在でも正式のドイツ国歌とされています。また、現在では、ナチ時代の正式の国歌であった1番の歌詞を人前で高唱したり録音を流したりすることは、それだけでネオナチの嫌疑の対象となるようです。このように国歌一つにも、19世紀以来のドイツのたどった歴史的な曲折が反映されているのは興味深いことです。

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